新卒採用の歴史 Vol.3~戦後の就職活動
就職協定のはじまり
国によって労働が統制されていた戦争が終結し、統制はなくなりました。
しかしながら、学生たちは就職口がなく、悩まされていました。そんな状況が一変したのは、1950年に勃発した朝鮮戦争による特需がきっかけです。アメリカ軍からコンクリート材や鋼材、食料品といった物資が大量に発注されるようになり、人手が必要となった企業は大卒者の採用を積極的に行うようになったのです。
次第に戦前を繰り返すかのごとく、各企業は優秀な人材を確保しようと、採用試験の日程を早めていきます。これを見かねた大学側は「学生の学業が疎かになる」と主張。1953年に文部省が中心となって、採用試験は大学4年生の10月から行うというルールを設定します。これが現在につながる「就職協定」の始まりです。
集団就職
これまで大卒者の新卒採用について述べてきました。では大卒者以外の人たちはどのようにして就職していたのでしょうか?
代表されるのは「集団就職」です。これは地方に住む中学・高校を卒業した生徒たちが、より高い賃金を求めて、都市部の企業に集団で就職することを指します。
始まったのは1954年のこと。大卒者のほとんどが大手企業に就職し、中小企業は深刻な人手不足に悩まされていました。そんな中、東京の商店会が都の斡旋を受けながら、合同で公共職業安定所に求人を提出します。人手不足の都市部と、人口は多いものの働き口がなかった地方にとって、ニーズが合致するものでした。都市部での就職が決まった生徒たちは、列車に乗って集団で上京していたそうです。
以後、1970年代にいたるまでこの集団就職は盛んに行われていました。
2018年の今、集団就職を目にすることはありませんが、以前はこれが当たり前のように行われていた時代もあったんですね。
次回は昭和後期の就職活動についてお届けします。