新卒採用の歴史 Vol.4 ~ 昭和後期の就職活動
就職協定の締結や集団就職など、学生への国側のサポートが充実していた戦後。昭和後期にはどのような就職活動が行われていたのでしょうか。
昭和後期~バブル期
1968年、大学紛争が勃発します。大学に関わる政策を巡り、大学と学生たちの間で意見が対立。全国でデモや授業のボイコットなどが行われるようになり、次第に暴徒化する学生たちも現れました。このような状況から、大学は学生の就職指導ができなくなり、学生たちは自力で就職先を探すようになります。この頃、今日では当たり前となった会社訪問が生まれたといわれています。
昭和も終わりに近づいた1986年、男女雇用機会均等法が成立します。それまでほとんどの企業が男女別で採用を行っていましたが、男女雇用機会均等法が成立したことにより、徐々に女子学生の活躍の場が広がっていきました。同年には、バブルに突入。各企業はこぞって新卒者たちを採用し始め、超売り手市場となります。
就職氷河期
しかし、そんな状況も長くは続きません。1991年にバブルが崩壊すると、今度は就職氷河期が訪れます。景気の冷え込みとともに、新卒者の採用枠は大幅に縮小。採用基準も厳格化していきました。
企業は限られた採用枠の中でより優秀な人材を採用しようと、学生に対しエントリーシートの提出を求めるようになります。学業成績だけでなく、志望動機や自己PRといった面も重要視されるようになっていきました。
就職氷河期は2005年まで続き、派遣社員やアルバイトといった非正規雇用の人たちが増加しました。
2018年の今、就職市場は超売り手市場だといわれていますが、目まぐるしく変化してきていたんですね。
次回は平成の新卒採用について、お届けします。